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2013-06-30

草競馬場

補助陸上競技場花壇

 補助陸上競技場の横にある花壇は、今、マリーゴールドとサルビアの季節です。  

 ブログの初回に、この陸上競技場あたりは昔、桃畑や草競馬場だった、と書きました。

どんな様子だったのか知りたくなり、あちこち調べていくうちにようやく辿りつきました。

 佐藤寅雄著「岩神風土記」(元前橋市立図書館長、2004年)には、筆者が幼い頃見聞した敷島公園の競馬場についての記述があり、大変興味深い内容でした。

 ここでご紹介しましょう。

 

■敷島公園に競馬場

 敷島公園で競馬が行われた、そんなことがあったの、と驚かれる人が多いことでしょう。私が記憶しているもので二度ありました。最初の競馬については、私の幼い頃の古い話になりますので、正確に覚えていませんが、確か大正から昭和にかけてのことだったでしょうか、現在の県営陸上競技場のところは、その頃、広々とした原っぱでした。

 昭和9年10月前橋市役所所蔵版「前橋全図」を見ますと、長径150メートル、短径50メートルの競馬場が記載されています。ここで、いわゆる草競馬が行われていました。草競馬ですから、お金で馬券を買って賞金を貰うというものではありませんでした。農閑期、各農家で飼育していた馬だったのでしょう、いろいろな賞金を賭けて草競馬を行っていたようです。

 おぼろげながら記憶しているところでは、広場の真ん中に一本だけ高い樹、松だったか杉だったかがあって、その日には樹の天辺に、なんの旗だったか、なびいていたのを覚えています。馬場といっても簡単な囲いで、その周りを駆け回っていました。大会本部らしきものの前には、たくさんの賞品、例えばタンスや鏡台、その他諸々の品々が並んでおいてありました。もちろん、草競馬でしたから自分の飼い馬への声援一族こぞっての大声援、今思い出しても、とても尋常なものとは思えないほどの熱狂振りでした。それにしても、よくぞこれほどまでに観衆が集まったものだ、というくらい人でいっぱいでした。 いうならば、農閑期のひと時の慰安会、あるいは、お祭りのようなものだったのではないでしょうか。

 考えてみますと、昔、草競馬、いま陸上競技、ともに競争ということに何か因縁を感じないではいられませんね。

 

 さて、二度目の競馬は、敷島公園松林の中で行われました。

 今思えば想像もつかない出来事でした。終戦間もない昭和二十二年のことだったと記憶していますが、確か馬匹組合の主唱で競馬組合が行った公営競馬でした。正式な名称は覚えていませんが、馬場といっても松林の中をぬって一周3~400メートルあったでしょうか。競技は何回となく駆け巡っていました。それにしても、松林にさえぎられ、どの馬が先頭なのかよくわからず、特にキャンタといいましたか、速歩競争、この競争は馬の四脚のうち一つの脚が必ず地についていなければならないという、すなわち、跳んではいけないという競技でしたが、松の陰でぜんぜんわかりませんでした。よくもそんな状況で競馬ができたものだと感心しました。

 競馬場は、西側に馬券売り場があり、当時馬券は10円でした。戦後あるいは一攫千金を夢見て多くの人が集まり、それはにぎやかなもでした。馬券を買うのもたいへんな騒ぎでした。私も友達二、三人で行ったものでしたが、なにしろ競馬のことなど何も知らず、ただ面白半分に馬券を買ったものでしたから、賞金など貰った覚えはありませんでした。この当時、馬が走る有様が松の陰で見え隠れするような競馬でも無事済まされましたが、今日こんな競馬を行ったら、たいへんな騒動が起こることになるでしょう。のどかな時代といえばそれまでですが、娯楽に飢えた当時としては、市民にとって何よりの楽しみだったのではないでしょうか。その馬場の跡が今でも松林の中に残っています。

 

以上が、引用です。

馬場の跡は松林のどこに残っているのでしょうか。いまから探しに行ってきます。

 

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